top of page
                 念仏者は無碍の一道なり

 

   親鸞さまは承安3年(1173年)5月21日京都日野の里にお生まれになりました。幼くしてお母さまを亡くしお父さまとも生き別れなれになった親鸞さまは9歳の時、叔父さまにつれられ青蓮院で出家得度し、比叡山に登って修業に明け暮れました。しかしどんなに頑張っても後世のたすかる道はみいだせず苦悩は深まっていきます。そして29才、とうとう救いの道を求め聖徳太子ゆかり六角堂に通い詰め九十五日目の暁、救世観音の夢告によって吉水の法然聖人の草庵へと導かれます。それから又百日間「この他力念仏の教えは、自分の救いに叶うものなのか」と通い詰められるのですが、一日一日、法然聖人の言葉に引き込まれていきました。

 

 『あなたは、随分長い間一人で悩み苦しんでこられましたね。私もかつてそうでした。でも、もう難行も苦行も何一つ必要ありません。阿弥陀さまがいつもあなたを照らしておいでです。阿弥陀さまという仏さまは「私の名(南無阿弥陀仏)を呼んでくれれば、必ず救い取る」とおっしゃって下さっています。この仏さまは、どちらを向いても地獄にしか行きようのない私をとうの昔に見抜いておられました。私の代りに修行を完成して下さっておられます。私は唐の善導大師の「観経疏」というお書物に出遇って、そのことを確信いたしました。この阿弥陀様のお誓いを「弥陀の本願(誓願)」といいます。阿弥陀仏の誓願「この罪業をかかえて苦しむ私を必ず救わずにはおかない」という広大無辺のお誓いの前では、あなたのちっぽけな自力のはからいなどもう何の役にもたたないのです。』

 

 親鸞聖人の真っ暗闇の心に光が射しこみました。

「私はこれまで、善根を積み上げ立派になろう、立派になろうと、自力の行で何とかしようともがいてきました。しかしそれは私自身のおごり以外の何ものでもありませんでした。」「私のはからいなど、本願の前では何一つ役に立たなかった…」親鸞さまの救いはこの時、成就しました。この時のよろこびを「建仁辛酉(かのとのとり)の暦(1201年)雑行を棄てて本願に帰す」と言い表されています。「雑行(ぞうぎょう)を捨てる」つまり、念仏申す以外はもう何一つ必要ない。阿弥陀仏は私のなすべきことは全部仕上げて浄土へ導いて下さっていた。受け取る心が無かっただけだった。「これからは阿弥陀仏の本願一つに帰依(きえ)し御恩報謝の日暮らしをすればいい。」このことは比叡で行われていた祈願や御祈祷や占い、まじないなどのあらゆる束縛から一度に解放された瞬間でもありました。

 

 法然聖人は僧侶の妻帯(結婚)についても「お念仏して歩まれる人には何のさわりもありません。どのようにあってもお念仏が申せる人生を歩まれればいい」とおっしゃいました。僧侶が結婚することが破戒として禁じられた時代に、親鸞聖人は堂々と妻帯され、お互いを敬愛し、何者にも妨げられることのない念仏の一道を歩まれました。全ての悩み苦しみが一度に消滅し解決したのです。

 

 しかしその喜びも束の間それまでの国家の為に祈願し修行することを務めとしていた奈良や比叡の寺院の僧侶にとっては「念仏一つで誰もが救われる」などという教えが広まることは許しがたいものでした。とうとう法難の嵐が吹き荒れます。建永2年(1207年)興福寺と朝廷が結託した策略とおもわれる事件によって念仏停止(ちょうじ)令が下り、四名の僧が死罪、法然聖人親鸞聖人ら七名の僧侶は遠流となります。しかし法然門下でお念仏門に帰依していた天台座主慈円の兄である摂関家の九条兼実公はお二人の庇護者であり、お二人を守るためご尽力されました。

 

 越後に配流となった親鸞さまは恵信尼公と暮らされます。四年が過ぎ赦免後、聖人は関東に赴かれみ教えを弘めながら勉学に励み、そこで沢山のお弟子が生まれます。しかし聖人御自身は師と弟子いう感覚は微塵も持っておられませんでした。「みな同じ如来さまのお弟子であり、同じ道を歩む御同行です」と言われています。

 

 その後はお念仏の教えの確かさを証明する為、又救われた感謝の想いから、教行信証という長い巻物を幾年月もかけ執筆校正されます。また和讃という詩にした教えを何百邊と作られ布教されました。教行信証の中に挟まれる形で書かれた「正信偈」は教行信証をまとめた漢文の詩ですが、第八代蓮如上人が「門信徒の読む経」として弘められた為、真宗の法要では全員が大きな声で唱和し今に読み継がれているのです。

                                                                                  2016年7月  釈 崇 哉

 

 煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるることあるべからずを あはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。

 

 

 全て煩悩でできている私たちは、どうやっても 迷いの生存を繰り返す生き方から離れることができません。だからこそ阿弥陀仏は願いをおこさずにはおれなかったのです。悪人成仏のためですから、その阿弥陀仏の働きにおまかせするよりない悪人凡夫こそが往生の正客なのです。

 あらゆる階層貴賤を問わず教えを説かれる吉水草庵の法然聖人

  親  鸞  聖  人
3分で読む
  親鸞聖人
bottom of page