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                  基幹運動とは一体何だったのか

                                                                                                    

 

              1、基幹運動とは

              2、追悼の在りかた                

              3、連続研修の本質

              4、門徒推進員の現実             

              5、親鸞聖人と神仏               

              6、門徒も氏子                     

              7、親鸞聖人に学ぶ                

              8、政治と宗教                     

              9、同和団体と真宗                 

              10、同和問題とのかかわり方     

              11、「真宗教学」は変わらない 

              12、おかしな会合

            13、マルクス思想

              14、日本国憲法

              15、「非戦平和」の中身

              16、共産主義(社会主義)

              17、楊 海英 

              18、社会主義国の姿

              19、革命に利用された本願寺

              20、他力の信心

              21、基幹運動の終わり 

              22、これから進むべき道

 

 

1、基幹運動とは

 本願寺の基幹運動の結末は宗本分離という大きな痛みをともない終焉しました。基幹運動の時代は1986(昭和61)年より2012(平成24)年まで26年間も続いた本願寺が一同和団体とその一心同体の左翼グループの指導下におかれ左傾化していった運動であったことが何人もの識者より指摘されています。基幹運動は、ひたすら同和問題(差別の反省)を語ることが義務づけられた運動でした。始まって間もない頃、私たちの教区は三組合同で僧侶研修という名の同和差別研修が行われ、参加が義務付けられていました。欠席すれば教区の他の地区の研修会に強制参加し反省の言葉を述べなければならないのです。見えない何かに引っ張られている感覚があり、どこかがおかしいと思っても口にすることがタブーでした。中国の文革に似た運動の始まりのような感じがあり、真宗が崩壊していく前兆のような予感がしました。今振り返ってみますと、粛清こそありませんが、その中身は似ているのではなく、真宗内文革だったのです。社会には数多くの問題が存在します。しかし何故、基幹運動では同和、靖国、平和の三点だったのでしょうか。それはこの三つが真宗教団を社会主義に引き込む為の左翼思想と全く同じキーワードだったからなのです。

 

2、追悼の在りかた

 基幹運動は、神道を敵視し靖国神社と天皇を否定する左翼思想を持つ人達が宗派を利用して、それがあたかも真宗教学であるかのように誘導していった運動でした。彼らは靖国神社に対抗する為に千鳥ヶ淵墓苑を追悼施設として担ぎ「非戦」「平和」と冠した追悼法要を推進していきました。このことが次第に真宗が奇異な目で見られる要因となっていくのです。配布されるパンフレットは「左翼のアジビラと見紛うほどの内容である」と外部から指摘されていました。戦死者追悼は各地域の自治体や寺で遺族とともに静かに行われるのが自然な追悼の形であり、私の住む地区でも僧侶が招かれ春(桜の時期)と夏(お盆)に追悼法要が行われています。左派の人達が無縁墓地の千鳥ヶ淵を特別な追悼施設として担ぐ理由は靖国が戦争を肯定し美化する為の国家施設だとし、これに対抗する為でした。どこの国よりも平和な日本で、おかしな非戦、平和を叫びながら戦没者追悼に名を借りた政治運動が千鳥ヶ淵を利用して繰り広げられていたのです。千鳥ヶ淵墓苑は身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する環境省が所管する国民墓地公園です。立ち寄った人が静かに手を合わせてお参りすれば良いのであり、これみよがしに法要を勤めなければならない場所ではないのです。何故なら追悼法要は、戦後各地で自然な形で勤修されてきたのですから。千鳥ヶ淵はイデオロギーに利用されていたのです。ではこの「非戦」「平和」の言葉の裏には一体何が隠されているのでしょうか。

 

3、連続研修の本質 

    刷り込みは、僧侶は僧侶研修と言う名の同和差別研修会で、門徒は同和研修会と連続研修会への勧誘という形で進められていきました。連続研修会に使用されるテキストが連研ノートで、必ず同和・靖国・平和を取り上げるようになっていました。門徒に伝える為には僧侶が学習しておかねばなりませんから、すでに僧侶全体への思想教育が始まっていました。同和研修と連続研修会ともに話し合いの時間が特別長く設けられ、話し合いの中で左翼思想の特色である「自虐史観」へと導かれるようになっていました。「自分達は差別や戦争で悪いことをしてきたので自他ともに変革していかねばならない」と思わせることによって、政治運動へと導いていくのです。これはマインドコントロールで、そこでは車座になって内心を打ち明けていく告白形式(ある新興宗教がとっていた手法)をとる為、自己反省の言葉に酔い、信じこんでいくようになります。その新興宗教は、「あなた方の宗派の蓮如上人から学んだものだ」といいますが、教えが中心になっていないので、蓮如上人の平座同座とは全く異質なものです。同じように連研でも教えから離れた形で進んでいきます。もちろんこれらは本願寺が意図したことではなく、宗派内の左翼活動家の人達が次第に誘導していったものです。運動家の人達には革命思想が根底にあり、若い僧侶の中には彼らが宗派の改革を考えているものと勘違いし、手足となっていく人達もいました。若くて純粋な人ほど陥りやすいのです。やがて彼らも左翼活動家や中国共産党が言う事と変わらぬ主張をするようになります。このことは共産主義のプロパガンダに従って活動していることを意味します。基幹運動は「レールの上を歩まされているようで何かがおかしい」と口にしていた僧侶もたくさんいましたが、その裏にあるものに気付く人はそういませんでした。

 

4、門徒推進員の現実

 連研修了者の門徒推進員は、表向きは門信徒として活躍する人の育成ですがその実態は左翼思考の拡散機関となっていました。連研ノートの中では、基幹運動が終わってもまだ同和、靖国、平和が組みこまれ、すり込みが続けられています。基幹運動は「信心の社会性」という安心(あんじん)上、極めて問題のある造語を生み出し、門徒を含めての総動員法が敷かれていきました。つまり「あなたは信心を心の問題とし、社会に対して何もせずに逃げているのではないか」という脅しです。「基幹運動に従わない僧侶は、真宗僧侶ではない」という極左発言をする僧侶まで出てきて、次第にファッショ化していきます。基幹運動のような、従わない者を糾弾するという考え方は親鸞聖人の教えの中にはどこにもありません。「他力信心を頂いているものが差別するのか」という理論は宗旨を替えれば差別してもかまわないという理屈になってしまいます。

 

5、親鸞聖人と神仏

 日本は神道と仏教が共存してきました。それは天皇が仏教を取り入れ歴代天皇が僧侶であったのですから当然の事です。親鸞聖人もその時代の人達も神道の神は仏教を守る神として浸透していました。人を惑わし、占いによって人を死に至らしめるような迷信邪偽、悪鬼神は否定されましたが、そうでない神々は全て護法善神とみておられるのです(経典の中ではインドの神ですが)。浄土和讃の中の現世利益和讃に「天神地祇はことごとく善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」と詠まれていますし、御消息には「仏法をふかく信じるひとをば、天地におはしますよろづの神は、かげのかたちにそへるごとくして、守らせたまふことにて候へば、念仏を信じたる身にて、天地の神をすてまふさんと思ふこと、ゆめゆめなきことなり。」とあります。ところが左翼思想上では全部がひっくるめられ、神道=天皇=差別で悪という図式の上で神道否定となります。彼らが神道を否定する根拠として親鸞聖人の「かなしきかなや 道俗の 良時吉日えらばしめ. 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめと す」の和讃が度々使われます。ここで親鸞聖人が言われた意味は「わざわざ天神地祇を崇めて迷信にとらわれてはなりません」とおっしゃっているのであって「捨てなさい」と言われたのでないことは明らかです。また「般舟三昧経」に「余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」とありますのは、「~せざれ」ではなく「~ことを得ざれ」とありますから「得る必要がない」という程の意味です。「涅槃経」の引用では「余の諸天神に帰依せざれ」とありますが、帰依の対象を間違えてはなりませんと書かれているのです。

6、門徒も氏子

 私たちは正しい親鸞聖人のご法義のみを伝え、ご門徒をイデオロギーの戦闘員にしてはなりません。ご門徒といえど氏子でもあるのですから寺の役を終え、氏子の役を引き受ける人もたくさんいます。お念仏を依りどころとして生きて欲しいとは思いはしますが、基幹運動連研テキストのような門徒を私物化した前提の思想教育研修は決して、行ってはならないのです。これは社会との軋轢を生じていきます。聖人の時代とは全く条件が異りはしますが、法然上人も親鸞聖人も蓮如上人も、一番気になさって、たしなめられていた事です。蓮如様は「(為政者と争わぬよう)掟を守って下さい(領解文)」とまでおっしゃっていますから、権力と戦えという革命思想を持つ左派の人達からは以前から攻撃されていました。時代背景を語らず言葉の一部分だけを切り取って攻撃するのもかの思想の特徴ですが、それは政治的に教えを利用しようとする為に都合のいい部分だけを切り取って錦の御旗に使ったり、攻撃材料にしたりするのです。稲城選恵和上が生前、著書で証明しようとされたのは、彼らの理不尽な蓮如上人攻撃に対してでした。真宗内で左翼勢力の力が増していくに従い、神道に対する攻撃も次第に増大していきます。忌中札、清め塩に対する一方的な差別解釈。神道を差別宗教として攻撃する為のプロパガンダが進行していきました。その出所もよく解らず、まことしやかに教団内に広がっていきました。

 左傾化していった僧侶の人達は「信俗二諦」の言葉をダブルスタンダード(二重規範)の意味に利用し、政権攻撃に心血を注ぐようになっていきます。このことはやがて世間からはあきれられ、政治的には社会から切り離されるようになり結果滅びることになるでしょう。しかも滅びるのは左翼革命思想家ではなく、利用された真宗教団なのです。今、浄土真宗から御法(おみのり)を慶ぶ姿が僧にも門徒からも失われつつあります。攻撃的性格を持つ基幹運動の結果、対立を生み、いがみ合うような教団に変貌していったからです。それは左傾化基幹運動の行き着く結果でした。お東はこれにより分裂したのです。真宗教団を社会主義革命に利用する思想家は全国に存在します。その中心には御法義より政権打倒を第一とするマルクス思想を学んだ人達の存在があります。私たちより若い世代はそのことを理解することができないので、誤った判断をしてしまう人が多く生まれているのです。伝道は神道攻撃ではなく他力の心を伝えることです。

7、親鸞聖人に学ぶ 

 私たちの組は、今も連研ノートなどは使用せず真宗の基礎を学んでもらうことにしています。中央の指定する話し合い法座ばかりがやたらと長いカリキュラムや日程と内容が全く異なるので、門徒推進員も作れません。連研修了者で門徒推進員になっていく人達の中には、教えなんかどうでも良く、それより政治運動が大切と言う人が生まれていると聞きます。マインドコントロールを解くには、自分で気付くより他はありません。親鸞聖人は政治運動のようなことは一切おっしゃらず、教えを大切に伝えようとされた方でした。その上でなお、他力の教えでさえも「面々のおんはからいにて」とおっしゃっています。つまりあなたご自身がよく考えてお受け取り下さいと言われているです。基幹運動は決して自由な思考を許さず、全員を犯罪者という枠組みの中に閉じ込め、一人残らず従えという運動でした。親鸞聖人の人となりをちゃんと学べば、あやしいものは自然と消えていく筈です。20世紀最高の哲学者の一人と言われるマルティン・ハイデガーは親鸞聖人の言葉に出遇って晩年の日記にこう書いています。「日本の人達は何をしているのだろう。立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい」と。基幹運動からは聖人の匂いは感じられず闘争心しか見えてこないのです。

8、政治と宗教 

 親鸞聖人は自分が救われたことへの感謝のお念仏以外、ああしなさい、こうしなさいとは決しておっしゃっていません。仏教の衰退に危機感をつのらせるようになった宗派はますます宗教団体として政治にかかわろうと、左翼運動家の描いたままの要望書を政府に提出したことがありました。これは中国共産党と左派政党が与党に抗議している内容と同じでした。宗教団体は政治団体ではありえず、政治は民主主義の世の中では選挙で選ばれた政治家が行うのです。そうでなければ何の為の選挙制度なのかわかりません。宗教が政治を変えなければというのは、左派運動家が作り上げたもっともらしい嘘です。その本質は宗派を社会主義思想に引きこもうとしているだけなのです。あなたがもし現政権打倒の思いが生まれてきているとしたら、もうすでに彼らの手の内にあると言えます。もしも政権与党が暴走する事があるとしたなら、それを止めるのは野党の仕事ですが、それより何より国民が選挙で判断しているのです。ロシアや中国と違い三権分立と民主主義のルールが確立して機能しているのが日本です。政教一致の問題は司法が判断する事です。宗派内でも政治に関する考え方は、みなばらばらなのが自然な事ですから、政治がどうあれ仏教徒として自分がどこに立っているかが大切な事です。

 

9、同和団体と真宗

 早くから特殊同和団体とのつながりが深かった東本願寺は、被害が甚大で、危機を感じた保守派は離脱してしまい、本家は寺ではなくただの本廟(墓所)と呼ぶようになりました。改革の名のもとに利用され一旦政治運動体となってしまえば、百人いれば百人考え方の違いが生じてきますから、これから先も、幾度も分裂を繰り返す事になります。そうするとその宗派は消えていくしかありません。あたかも政治政党が分裂を繰り返して誰もいなくなるのと同じです。特殊同和団体と距離を置いて独自路線をとった西本願寺は被害をそれほど受けずに済みましたが、それでもまだ危険な状態にあります。運動家の影響の大きい連研ノートを取りやめ、研修のやりかたを速やかに変える必要があります。そもそも連研ノートが出来た時点で問題に気づく必要があったのです。各組である程度、真宗の基礎を学んだ人が、本山でお言葉を頂戴して表彰を受け「地元でご活躍下さい」で良かった筈なのです。なぜそうなっていないかというと推進員が次の推進員を育てていく仕組みですから、これは最初から社会主義思想を拡散していく為に考えられたシステムです。連研の中身を、純粋な真宗の教えに変える必要があります。改革の必要があるとすれば、それは布教の方法であって、教えを捏造することではない筈です。

 

10、同和問題とのかかわり方

 同和問題は人間としての尊厳上、大事な問題です。しかし問題は差別が違う所で利用されている所にあります。その本質が靖国反対だったり、天皇否定であったり、思想に従属させる為の恐喝に使われる事が問題なのです。社会では同和問題対策は一旦区切りをつけています。同じことの繰り返しばかりでは本当の解決にならないこと。被差別者の地位が向上したこと。裁判などによって個別に対処できるような社会に変化したこと。終わらせたら都合が悪い人達の利権恐喝が横行していることなどがあげられます。ある真宗寺院で昔の過去帳から差別法名が見つかったと言って、差別教団であるかのような流布がなされました。どこかの警察官が昔泥棒をしていた証拠がみつかったといって、全国の現警察官がみな糾弾されることがあるでしょうか。そのようなことが基幹運動では、ある思想のもとにずっと行われてきました。彼らは先の大戦で本願寺が戦争をあおったとして反省すべきと糾弾しますが、あの時代の世論は国中が「鬼畜米英」と言って戦っていたのですから、本願寺の及ぼす影響など微塵もありません。左翼思想を持つ人達は戦争を知らない人が殆どになった日本で未だに戦争責任で御門主までも糾弾しています。戦争を終わらせたくない他の理由があるのではありませんか。「非戦平和」の言葉を利用して平和主義を装いながら、何故中国共産党と寸分変わらぬ批判を政府に行っているのでしょうか。人権を叫びながら、何故どこの国より酷い中国や北朝鮮の人権問題には触れようとせず、アメリカに批判的なのでしょう。教えとは全く違う所に立脚しているからではないのですか。

 

11、「真宗教学」は変わらない

 彼らはかつて浄土真宗が「戦時教学」を構築して、戦争に加担してきたといいます。しかしそのようなころころ変わる「教学」が存在するはずがなく、これは彼らが「自虐史観」の中で作り出したものです。彼らは新たな「戦後教学」が必要と言います。それは「真宗教学」を「左翼思想教学」に変えていこうとする試みです。日本がそんなに悪いことをしてきたのなら、アジアの国々はなぜ、これほど日本に対して皆好意的なのでしょうか。そしてなぜ中国と韓国だけがこんなに日本を貶めるのでしょうか。中国共産党は実際は1949年10月の建国で、もとは少数ゲリラ組織です。のちにソ連のスターリンの画策で膨れ上がり共産党となったもので、本来の中国とは違います。大戦後ほんの短期間でチベットとウイグルに侵攻して殺戮と迫害を続け、また中国の社会主義独裁政治のために自国民5~8千万人が犠牲になりました。中国共産党はこれらを正当化する為に歴史を捏造し続けてきました。また北朝鮮はソ連が全く嘘の英雄を写真を挿げ替えまでして捏造して作り上げた国です。国民は牢獄で生活しているようなものです。そして韓国はこの北朝鮮の強い影響を受け動かされている国です。正しい歴史が伝えられなかった訳はコミンテルンの影響下で学生運動にのめり込み働き場を失った左翼思想家の人達の多くが、新聞社、教職、マスコミなどの要所に拾われ、また送り込まれていった影響で(北朝鮮を地上の楽園と言っていたのですから)正しい歴史はことごとく押し潰されていきました。

 

12、おかしな会合

 今年8月、第2回「琉球・沖縄最先端問題国際学術会議」なるものが、開かれました。場所は沖縄でも本土でもなく中国・北京です。主催者は中国戦略・管理研究会、北京大学歴史学部で、沖縄の独立や米軍基地の問題を、中国が会議しているのです。一帯一路政策で中国共産党が何をなそうとしているかは明らかです。

 

13、マルクス思想

 マルクス、レーニン思想や毛沢東の思想は革命の為にはどのような手段も選ばず、どれだけ人を殺してもかまわないというものです。ソ連自身が崩壊し、社会主義国は次々に消え、共産主義が間違いであったことはすでに歴史で証明されたにもかかわらず、世界にばらまかれたコミンテルンの影響を受けた人達は、自分たちなら失敗しないと思いこんでいます。全世界で共産主義社会を実現することにあるとする「世界革命論」が消えない人達が、未だにあらゆる所で活動しています。彼らは本願寺とその宗派の善意を利用して、社会主義運動を展開してきました。若い真宗僧侶の中にもその影響を受け、何も知らずに動かされている人達はかなりの数存在します。共産主義社会では宗教は存在できません。共産主義国の思想統制を脅かす存在になるからです。中国やロシア(旧ソ連)では度々宗教弾圧が行われています。それも残虐な行為が当然のごとく行われているのです。真宗僧侶の中で革命思想を持った人達は、これにどう折り合いをつけようと思っているのか不思議でなりません。彼らにとって宗教は単なる道具に過ぎず、左翼政治団体に変えてしまうことが目的のようにしか思えません。

 

14、日本国憲法

 彼らは日本国憲法にノーベル平和賞をと言っています。そんなに素晴らしい憲法なら日本以外世界中ただ一国として採用しないのは何故なのでしょうか。それはとても自国を守れない危険な憲法だからです。日本人はこの憲法によって日本の平和が守られてきたような錯覚を持っている人が多いことです。日本国憲法は日本人が自主的に作り上げた憲法であるように言われていますが、日本国憲法は敗戦後、無条件降伏下でGHQによって作成された丸裸憲法なのです。今年8月15日アメリカのバイデン副大統領が「我々が日本を核武装させないための日本国憲法を書いたのを知らないのか」と大統領選の共和党指名候補のトランプ氏に言っています。九条の事です。日本は米国の核の傘の下にあったから侵略を受けずにすみました。米国が日本を守ってきた訳は共産圏陣営になっては困る地政学上大事な場所だったからです。その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争を見れば明らかです。日本は自由主義防衛ラインだったのです。日本が平和でいられた訳はただそれだけなのです。そしてアメリカは日本が西側自由主義陣営として成功した姿を見せる為に、為替を1ドル360円という固定相場にしました。このことで日本はみるみる発展を遂げました。日本の幸不幸はアメリカのさじ加減にありました。米国も、自国の利益にならないことはしませんでした。皮肉のようですが、先の戦争を早く終わらせようと、アメリカはソ連が北海道の半分まで攻め込むことを許容していました。「そこまでは、ソ連にあげよう」ということです。しかし原爆製造が間に合ったことで、「もう、入るな」に変わりました。ソ連はいつでも攻め込む準備をしていました。そして一たび領土にすれば、決して返還する気などありません。奪ったものは未来永劫自分の物、そして国際条約など守る必要はないというというのが中国とソ連に共通した考え方なのです。朝鮮戦争が起こり、手が足りなくなったアメリカは、軍隊を持てない日本に対して苦肉の策で警察予備隊などと、変な名をつけ防衛させました。この時ぐらいアメリカはあの憲法を後悔したことはなかったでしょう。日本人は「平和ボケ」とか「誠実で人がいい」と言われる訳は、アメリカの戦略の中で守られていた為、世界中で米ソ冷戦の代理戦争が起きていても、何の恐怖も感じる必要がなく、ぬるま湯に浸かっていられたからなのです。私自信がそうでしたから。「何でよその国はあんなに戦争ばかりして、愚かなのだろうか?」と。そしてだんだんと日本中でこのように考える人が増え始めました。「日本は世界に誇れる独自の憲法九条によって平和を築いてきた」とか「よその国もこの日本のような憲法九条を持っていればどこからも攻められずに済むのに」と…。しかし真実はそうではありませんでした。世界では自由を守ろうとする人達が人権を蹂躙する共産主義と命がけで戦っていたのです。日本は九条があろうがなかろうが全く関係なく、世界一強力なアメリカの軍隊が後で睨みをきかせている為に、ソ連も中国も手が出せなかっただけなのです。もしも米国が日本を防衛ラインと考えていなかったならばチベット、ウィグル、モンゴルで起こった事はよその国の出来事ではありませんでした。チベットで焼身自殺するしか抗議の方法がない人達の苦しみや悲しみを私達は真剣に見ようとしません。

 

15、「非戦平和」の中身

 近年、左派系の講師を招いた「平和の集い」や「戦没者追悼法要」が盛んに行われるようになりました。その中身は「憲法改正反対」、「安保法制反対」を主張する政治運動で共産党、民進党と同じ流れです。

 今年の6月、教区で戦後71年戦争犠牲者追悼法要「非戦平和を願う集い」なるものが行われました。講師は女性のドイツ文学翻訳家。「ソフィの世界」や「夜と霧」の翻訳をした人でした。この人はほんの数年前ツイッターに「あべしね」、「くたばっちまえ アーベ」と、安倍総理へのヘイトスピーチを書き込んだ人でした。明らかな左派運動家です。批判が殺到し炎上したあとも「意見の同じ人なら、聞いてもらっても『そうだね、それで?』でしょ?意見の違う人が私の意見を聞いてくれるって、たいへんありがたい事です」と書きこんでいます。又イスラム国の日本人拉致殺害警告に対して「助けよ、と主権者として命じたい。二人の命を助けたら、私は現政権に賞賛を惜しまない」と載せています。思想は違うけれども助けたら賞讃するということを言っているのです。

 これらの偏った思想のもとの平和の集い。この集いの「御同朋の社会をめざす運動」の御同朋とはいったい誰を指しているのでしょうか。

 

16、共産主義(社会主義) 

 第二次大戦後、国土拡大、覇権主義を続け、他国からどんな批判を受けても内政干渉だと言い続けてきた中国共産党はアメリカの圧力がなければもっとやりたい放題だったでしょう。しかし南シナ海の問題では、国際法を無視し、かってに岩礁を埋立てて人口島を造ってもアメリカはせいぜい飛行機を飛ばすくらいで何もしないことが解ってしまいました。しかしさすがに世界を敵にまわすと不利なので、今中国共産党がおこなっていることは、主権があることを主張する為の威嚇行為にとどめながら、じわじわと既成事実を作り上げているのです。もしアメリカが日本から引き上げる事になれば、日本はどうなるのでしょうか。「尖閣は中国の核心的利益に属する」とはっきり明言していますから、間違いなくさまざまな手を使い奪いにくるでしょう。その時日本は初めて本当の世界で起きている紛争の意味を知り、本当の戦争の恐ろしさを知ることになるでしょう。もしかすれば、手が出せずにただ「遺憾だ」と抗議するだけかも知れません。日本の自衛隊はそんなに弱くないという人もいますが決定的な違いは核を持たないことにあります。核は絶対に使ってはならない兵器であることは言うまでもありませんが、ロシアや中国にとっては安心して侵略できる国という事です。それに加えてこの憲法は向こうの基地へは行けないのですから、いくらでも殴るだけ殴って下さい耐えてみせますというガードしかできないボクサーのような憲法なのです。これは相手側からすれば安心して何度でも攻撃できるという事です。安倍政権が目指しているのは決して左派が言うような「戦争ができる国」などではなく「戦争(侵略)をさせない国」にする為の法整備なのです。「憲法問題」や「集団的自衛権」などの考え方は人さまざまで政治判断の世界です。どの国の憲法も時代に応じて細かく変化していきます。日本国憲法だけがアメリカの抑止力に守られてきた為、問題がおきないので何にもさわる必要がありませんでした。それよりも憲法が作成されたあの時代の日本人に対しての白人による差別はとても激しいものでした。アメリカは日本が共産主義拡大の防波堤になりさえすれば良いという考え方でしたから「後に日本がどうなろうが現実味が全くないポエム(夢)のような憲法を実験台として書いてみよう」というのが、あの「第9条」でした。軍隊を持たない国などありえないのです。国民の生命、財産を守れないので矛盾しているのです。憲法9条第2項は(米国が)「自分たちが去ったら日本は交戦権を持たないので終わりですけど、後はご勝手に」というものです。ですからこの国の憲法を平和憲法と呼ぶのは筋違いなのです。違いがあるとすれば、紛争が起こっても国連の義務を果たす必要がなかったということでしょう。しかし海外で働いたり支援活動などをしている日本人の命すら守れませんので、お金は出しますからよその国の兵隊さんお願いしますですませてきました。他国の兵隊さんも命の重さは同じです。「戦争法案だ」とか「徴兵制になる」と宣伝する人達がいますが、戦争するための法案なんてある筈がありませんし、ハイテク時代に徴兵制は役に立たないと言うのが多くの国の常識です。戦争をしたがっている人などどこにもいません。戦争をしたがっている理由と言って彼らが使う言葉に「軍産複合体」があります。アメリカは戦争で大きな商売をしているから戦争を作りだしているというもの。これもまったくでたらめで、冷戦の中で膨れ上がった副産物というのが正しい見方です。これらは全世界に平和がおとずれた時、廃業するか他の分野に移行することになるだけです。兵器と違い、銃の問題は全く別の問題でアメリカの開拓の歴史の中で出来上がった「自分の身は自分で守る」という権利意識があるので、無くならないのです。

 

17、楊 海英(ようかいえい)

 日本には何故、学生時代のマルクスが書いた稚拙な幻想をこんなに信奉している人が多いのか、あの灰色の時代、若者には学生運動がかっこよく感じられたというのは空気としては何となくわかるのですが、どうしてこんなにまで信奉し続け自国を貶められるのか…、最近こんなニュースを見つけました。

                                              ニューズウィーク日本版[2016.8.23号掲載] 楊 海英

                                       (前文省略)

  研究者の自己保身と大学の経営難。こうした理由から、多くの大学に中国語や中国文化を教える教授陣がいても、彼らが黒板に描くのはどこにも存在しない「想像上の美しい中国」だけだ。

   打算的で、利益優先の中国研究をイデオロギー面で支えているのは、日本独特の左翼思想とマルクス主義的精神文化だ。19世紀末の明治維新の直後からどの国よりも多数のマルクスやレーニンの著作を翻訳した日本には、ソ連と中国以上に強い共産主義礼賛の伝統がある。共産主義の危険な思想を広げる運動家やアナーキストでさえも、「象牙の塔」に守られてきた現実から逃避するような学者の生活、大学の研究室などの閉鎖社会。

  彼らの弟子たちはずっと、日本の有名大学の主要なポストを独占することができた。彼らにとって、ソ連が崩壊した後は唯一、中国だけが「憧憬の地」であり続けてきた。「理想の共産主義国家」には労働者問題はあってはいけないし、人権弾圧の事実もあるはずはない。ましてやチベット人やウイグル人、モンゴル人が主張するような民族問題なども、「文明人と夷狄(いてき、野蛮人)」の対立という漢民族史観で中国を研究してきた日本の中国研究者は耳を貸さない。こうして中国の本質を知る中国人の研究を日本は無視してきた。

  だが先月には「日中友好」を献身的に支えてきた日中青年交流協会の鈴木英司理事長がスパイ容疑で中国当局に拘束された。日本人だけではない。日本の大学に勤めながらも、常に北京当局を擁護する発言を繰り返し、中国政府の代弁役を演じてきた人物も昨年までに、複数名拘束される事件が発生している。

  むやみに中国を称賛せずに現実のわが国を見よ、と習政権がメッセージを送っている?―そんなわけはあるまいが、純朴な日本人はまだ夢から覚醒していないところが悲しい。

 (実情と乖離した日本の「共産主義礼賛」中国研究の破綻)

 

 楊海英氏はモンゴル自治区出身の日本に帰化した文化人類学者です。楊氏は、内モンゴル「人民革命党粛清事件」に関する幼少期の「恐怖の記憶」として、「人民の敵」と認定されると、裁判をせずに殺害されたこと、また楊家も私刑や家財の略奪を受けたことなどを回想しており、「母が毎晩の(強制参加の)政治集会から帰ってくるたび、『今日はあの人が死んだよ』と教えられた。とにかく周りの人がどんどん死んでいく。とても怖かった」と述べています。この楊海英さんの記事を読むと、日本に左翼思想が蔓延してきた理由や、社会主義革命の恐怖の実態が伝わってきます。北朝鮮を理想の国と宣伝し、彼らが拉致などするわけがないとずっと信じていた左派の人達は、2002年10月蓮池さんら拉致被害者が帰国して初めて北朝鮮に失望したと言いました。「今頃ですか」と思いましたが、洗脳とはかくも恐ろしいものです。元共産党の常任幹部だった筆坂秀世氏は次のように語っています。「彼らは偏ったものしか学ぼうとせず、他のいろんな世界を決して見ようとしない」と。洗脳されない為には、いろんな人の話を聞いて視野を広げることが大切です。  

 

18、社会主義国の姿

 自由主義社会の中では共産主義者は生きられますが、共産主義社会の中では自由主義者は抹殺されます。ソ連でも中国でもおびただしい数の人達が共産主義革命によって粛清されました。数は減少したとはいえ共産主義国では、永遠に粛清が続いていきます。裁判らしい裁判も行われず、いとも簡単に自国民を処刑し、平和的デモでさえ鎮圧し投獄します。それほど人間の命はゴミのように扱われ、ロシアではソ連崩壊後の今でも真実を暴こうとするジャーナリストや反体制派が暗殺され続けています。イギリスに亡命していた反体制派のリトビネンコ氏が元KGBの職員によって放射性物質で暗殺されたことが記憶に新しい所です。権力の中枢にいる人らは完全な自由主義になると、これまでの数々の悪事が明るみになり、わが身が危ないからです。今でも選挙は不正だらけで、信教の自由も言論の自由もなく、ましてや人権などあろうはずがありません。生き残る術は賄賂のみ。そしてどのような迫害も外部には出ませんし歴史を捏造し続けるしかないのです。何がおこっていたかはずっと後世になってやっと口を開いた人によってしかわかりません。中国では天安門事件を知る若者は少なく、他国の人の方が映像を見れる為、良く理解しています。戦争犠牲者追悼法要の講師がツイッターで放った言葉「あべしね」「くたばっちまえ アーベ」は彼女が冗談で言っているのではなく、かの思想家ならみな持っている本音です。考えが違うものは粛清して構わないというのがこの思想の危うさです。ただ楊海英氏が言うように彼ら自信が「想像上の世界」を生きているので、その恐ろしさに気づいていないのでしょう。私が左翼の人達の思想を革命思想と呼ぶのをおおげさと思う人があるかも知れません。でもこれは過激の極に走った、革マル派や中革派に限ったことではない、かの思想が持つ特性で、行き着く世界なのです。何故なら皆がこれに染まらなければ達成しないのですから。当然選挙で勝てる筈のない彼らは新聞社やマスコミや社会に対し、猛アピールをせざるを得ません。選挙でかれらの支持政党が負ければ負けるほど、宗派を利用した政権打倒運動も増えていきます。僧侶の中に免疫力のない人も多く、偽善に気づかず「平和」とか「非戦」とか「平等」の言葉でいとも簡単に誘導されてしまう人も多いのです。左派でもないのに「私は平和の鐘を九月九日に突きます」と自慢して話す人もいます。真宗の弥陀一仏の教えは神仏習合から遠かった為、余計左に引き込まれやすかったといえましょう。基幹運動とは何だったのか誰も本当のことを教えません。彼らの理想郷が実現することはないと思いますが、宗派が恐喝を繰り返してきた一団体と結びついた左翼政治思想に利用されてきた現実を知っておく必要があります。

 昔、或る人より聞いたことがあります。「あの思想の人達とは決して折り合うことはありません」「絶対ですか」「絶対です。どこまでいっても平行線のままです」「とことん話し合えば…」「どんなに話し合っても通じません…何せ彼らは革命思想なのですから」

 

19、革命に利用された本願寺 

 本願寺の基幹運動は数は少ないけれどマルクス主義的思考(革命思想)を持った強力な活動家と、全員差別者と決めつけられ口を塞がれてしまった多くの反対者の対立でした。ですから彼らのいう平和は必ず同和を利用した差別糾弾とセットになっていなければなりません。そして彼らが「平和」、「非戦」と叫びながら戦争責任を追及し続ける訳は、革命の為に常に戦争したがっているかのような「見せかけ(仮想)の敵」を必要とするからです。

 昨年の日本の安保法案成立では欧米・アジア主要44ケ国が反対するどころか、賛同し東南アジアの国々は「積極的平和主義の下での日本の主導的役割を強く支持する」と表明しています。私たちが戦後植えつけられてきた「自虐史」はここには、見当たりません。戦争で戦った当事国アメリカは「日本は戦後70年にわたって平和、民主主義、法の支配を一貫して守っており模範だ」と言っているのです。これに対し中国・北朝鮮・韓国と日本の左派勢力だけが反対しているのです。つまり基幹運動の対立もまた東西冷戦構造の縮図のようなものでした。平和や戦没者追悼に名を借りた左派フォーラムが左翼活動家主体で続けられています。何でも革命の為に利用するマルキシズムを持った人達の言う「非戦」「平和」は決して本当の平和などではありません。「戦争を利用して内乱に持ち込み革命を起こせ」というのが、スターリンの指令でした。彼らはその通りを実行してきました。革命の為には皆がばらばらであっては困るので、必ず人々を束ねようとし、常に危機感を煽り戦争状態を作りだそうとします。ですからいつまでも戦争責任を追及し続けなければならないのです。彼らのいう「信心の社会性」は存在しません。彼らの言っている社会性とは「社会主義革命思想」の事なのですから。運動に導く為の同和、神道と天皇攻撃の為の靖国、危機感を煽る為の平和なのです。連研ノート12の問いはこれらの仕掛けの中にありました。毛沢東の「人間改造政策」には三段階があります。1「反省学習」2「罪行告白」3「尋問」です。不思議なことに連研はこれに当てはまっています。「差別の反省」「告白話し合い」「まとめでの糾弾」です。

 

20、他力の信心

彼らが使う「信心の社会性」は、これは異安心としかいえません。他力のご信心というのは私の側をさがしてもどこにも見つからないのです。私の中にはどこを探しても煩悩しか見当たらないのです。仏様の側で仕上げて下さっていると聞くものを、わがもののように扱うのはもう信心ではありません。「信心がありますか」と聞かれれば「おはずかしいことです」という他にはないのです。二種深信にある通りであり、「罪業深重の身」と聞き「本願招喚の勅命」と聞くより他はないのです。ですから彼らのいう人質にとったような「信心」は、人間の側で勝手に腹の中にこさえたものですから、それはもう偽物という他ありません。

  

「この信心をば、まことの こころとよむうえは、 凡夫の迷心にあらず、まったく仏心なり。」「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心も さらになし」「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもふまじ  如来の願船いまさずは 苦海を いかでかわたるべき」「信心獲得すといふは、第十八の願をこころうるなり その願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」「無懺無儀のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀回向のみ名なれば 功徳は十方にみちたもう」

 

 これらの他力信心を代弁するような佐市同行の詩があります 

 

「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし。自力というても苦にゃならぬ、他力というてもわかりゃせぬ。親が知っていれば楽なものよ。」

 

 これらの御文(ごもん)や詩からもわかる通り、「信心の社会性」という造語は真宗の安心から逸脱しており、これは真宗僧侶と門徒を革命思想駆り出す為の標語だったのです。同和団体の側から出た言葉というのなら、間違っていることを指摘しなければならなかった筈です。しかし左派の人達はこの言葉を都合よく利用してきました。マルキシズムを持つ人達は、一つの特徴があります。ばらばらな考え、自由な考え(自由主義)を決して許さず、全てを取り込んで一つに束ね従属ささせよう(全体主義)とします。カルト宗教に似ているのです。僧侶の中にはサンガの教団と全体主義を混同してしまう人達も多く、社会主義の平等という概念(一見正しいように見えるが粛清によって成り立つ恐怖の概念)に引きずりこまれていく人が多いのです。

 

21、基幹運動の終わり

  基幹運動の終焉と宗本分離に対し全国の左派系の人達は、本山への猛抗議を行ったようです。基幹運動の終焉は、正しい考えをもった僧侶の方が実は多かったことを示しています。このまま続けばお東に続き分裂に至っていたでしょう。全国の宗会議員も基幹運動反対派と推進派に分かれている教区が多かったのではないでしょうか。運動家の人達は本山の大事な御法義活動に使うべき財源を湯水のように基幹運動(革命運動)につぎ込んでいきますから、宗本分離は起こるべくして起きたのです。

 もしこれを読まれた方は、もう一度、以前の連研の目指すものが何かを書かれたもの(連研ノート)を読み返してみて下さい。そこには差別を利用して反省や改革が強調されていることに気づくでしょう。あなたがどこに導かれていたかが解る筈です。基幹運動は回りに敵を作り、社会と本願寺の間に大きな亀裂を生みました。そして宗門内には爪痕がいたるところに残っています。基幹運動が差別解消にはなった?いいえなっていません。逆に宗会での政敵を貶める為にありもしない差別までもが捏造されていました。歪んだ方向の差別研修が凶器になっていたのです。差別がここまで解消されたのは政治的にきちんと政策がなされてきたからです。あるいは地域が一丸となって解消した町もあります。一宗教団体でしかない真宗の囲まれた中での研修は利権団体や運動家に利用されるだけでしかありません。基幹運動は、親鸞さまの教えとは全く異なる世界でした。

 

22、これから進むべき道

 本願寺は現状を分析し危機管理を行わなければ、同じようなことが繰り返えされます。本当は勧学寮の仕事の筈なのですがしがらみからでしょう、どなたも表だっては言われません。そしてあのような文化大革命のようなシステムの中に僧侶や門徒が二度と放り込まれることがないようにしなければなりません。基幹運動は前々御門主を戦争犯罪人のように扱い、前御門主に反省の言葉をご消息で述べさせるなど、尋常ではありませんでした。残念な事に、このことが彼らの運動を後押しするものとなっていました。僧侶の中に法話ではなく差別の話ばかりする人もいました。それ自体が悪いとは言いませんが、「私はこんな差別を知っています。」「こんな差別があったのですね。」と話して満足してしまうのです。同和も靖国も平和も親鸞聖人の時代にはなかったものです。いや似たようなものはいっぱいありましたが、一切触れられていません。「それぞれの御はからい」を大切にしてあるからです。親鸞聖人の教えはそれぞれの心を一番大切にしてあるのに対しマルクス、毛沢東思想というのはそれを絶対許さないのです。新しい運動「御同朋の社会をめざす実践運動」は、各地方の状況にまかせた本来の御法義活動を行う方向へと舵がとられました。これは画期的なことで、上からの号令で動く、さからえない政治運動からの脱却を意味しています。これにより本山をコントロールできなくなった全国の左派運動家は猛抗議を繰り返しています。真宗に対する世間の目はかなり厳しくなっており、危険な水域に達しています。長い歴史の中で摂関家、宮家とのつながりが深かった本願寺ですが、その素地も香りも消されてしまった感があります。国からの信頼を失うということは国からも誰からも頼られなくなるということです。

 

最後に

 中国や韓国の中にも主体思想(チュチェ思想)プロパガンダの影響を受けない正しい歴史認識を持ったエリートも出てきています。彼らは日本を貶めるようなことは言わず冷静に日本や中国を語っています。こういう人が増えていけば近い将来中国も自由主義に変われるかも知れません。その時初めてアジアの平和は現実味をおびてきます。その時は中国共産党とロシアが後ろ盾する恐怖で支配される北朝鮮もなくなるでしょう。そしてチベットもモンゴルもウイグルも解放され、香港は喜んで中国と解けあい、台湾も恐怖から解放されるでしょう。その時初めて中国は他の正常な国同様に日本に対しても「共に未来に向かって歩みましょう」ということができるでしょう。しかしそのあと日本のマルキシズムを持った人達は一体どうしているのでしょうか。まだ政府に対しては「戦争責任」、本願寺に対しては「戦争協力者」と叫んでいるのでしょうか。世界革命論は国など必要ないという考えですから、ありえるかも知れません。私は彼らはある種の催眠術が解けない人達だと見ています。第二次大戦までの無知と貧困の時代による戦争、その後の冷戦時代のイデオロギー代理戦争、イスラエル建国による中東戦争は全く別のカテゴリーです。何故戦争に発展するような争いが起こったのか、起きているのかを語らず、一括りに「非戦」「平和」を叫んで平和主義を装っても、それは偽善でしかありません。私たちは寺の鐘を政治運動に利用させてはいけません。九月九日の九条の鐘は決して平和の鐘などではなく政権打倒の政治運動の鐘なのです。どんな思想を持っても自由ですが、親鸞さまの教えが革命思想や政治運動に利用されないようにしなければなりません。親鸞聖人のお心を汲み取れる方ならば、すぐにわかるはずです。「そらごと、たわごと、まことあることなきに」の世の中で「ただ念仏のみぞまこと」と言われた専修念仏は何ものにも束縛されることがなく、押し付けられることもない、一人一人が自由の身のまま受け取ることのできる尊い教えなのですから。

           

                                                                      2016(平成28)年9月  

                                                                                                                              釋 崇 哉

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