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「 聞 即 信 」
浄土真宗では聞くということを一番大事にします。聞くというのは本願の名号「南無阿弥陀仏」のいわれを聞くことです。このいわれが疑いなく私に聞こえ届いたそのままが信心をあらわしているので、これを「聞即信」と云います。
親鸞聖人は、比叡山でどんなに修行を積んでも悟りの世界が少しも見い出せず、それどころか逆に遠ざかっていく自分の内なる罪業の深さと煩悩の熾烈さに20年間も苦しまれました。しかし29才の時、比叡を降り法然聖人の庵を訪ね他力念仏の教えに出遇われたのです、そこで本願の教えを聞いて自力の心が一変しました。
私のために願いを起こし立ち上がってくださった仏さまがおられた。私に向かって南無阿弥陀仏の一声で救い取ると呼んでくださる仏がおられた。この宗教的真理の世界は凝り固まった愚かな頭でとらえられる世界ではありませんでした。理屈で感じられる世界ではありませんでした。「立派にならなくても構わない、必ず救う」と私に呼び続けておられる声に出遇ったのです、我が功績を積んで自分の心を解決すれば救われると思っていた驕りは微塵に壊れ、方向を見誤っていたことに気づかれたのでした。その後は感謝の念仏一つの往生浄土の道、信心正因・称名報恩の心を人々に伝えることを喜びとされました。
令和6年8月 釈崇哉
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